立ち向かうこと。
このあいだ、職場のトップと話をした。
自分が仕事において培わなければいけない部分について触れられた。
そのひとは、
いまのままではセンスが足りない。そのことに関してこれまでもやってこなかったわけで、それではお前の6年はなんだったのか、この6年間、無駄じゃない?そう言った。
わたしは認めたくなかった。彼はたぶん、わたしに火をつけるためにそれを言ったのだと思うけど、それでも認めたくなかった。
その分野に関して、わたしが行動してこなかった自覚はある。直面し難かったし、それよりも技術を、と思っていたので、自分の中では後回しになっている事柄だった。
自分がこの職場で得て来たものは計り知れない。
自分のためにあらゆるレッスンを受けたし、堪え難いダメ出しにも直面したし、何度だって泣いて、立ち向かって、その壁を超えてきた。
そのことは自分の中で、揺るがない事実としてあるのだ。だから今の自分があって、今の仕事ができている。
だからこそ、それを否定されたくなかった。
『6年間が無駄』という一言がわたしを刺して、刃がぐっさりと深く留まり、抜けなかった。
わたしの6年はなんだったんだろう?
今までの堪え難い苦難はなんだったんだろう?
今のわたしはなんなんだろう?
いま、わたしの仕事で喜んでくれているお客さんはなんなんだろう?
すべてが自分の中でガラガラと崩れていく。
誰かに話したいけど、できなかった。誰も分かるわけないと思った。
この、すべてをこなしてきた末の、やるせない、行き場のない虚しさを、誰もわかってはくれないとおもった。
きょう、帰りにふと、ディレクターの先輩が声をかけてくれた。唯一、この人になら打ち明けられると思っていたひとだ。
いつも忙しそうなので、なかなか持ちかけることができなかったのだけど、ひとこと話し出したら堰を切ったように言葉が出てきて、おいおい泣きながら、すべてを打ち明けてしまった。
詳しいことは割愛するけれど、先輩はすべてを受け止めて、否定せず、聴いてくれた。ただそれだけでよかった。
いまを越えなければいけないのは自分でもわかっている。ただ、この感情の行き場がなかったのだ。
先輩のような存在がいるのはとてもありがたいことだと思う。
様子を聞いてくれなかったら、わたしはきっと何も言えず抱え込んだままで、くよくよしているに違いない。
そもそも、かつてその人が通ってきた道だろうから、わたしはその人に話したいと思ったのだと思う。
とにかくわたしがやるべきことは立ち向かうことだ。
もう十分なんじゃないかと、何度思っただろう。それでも納得いかないのだから、仕方がない。
やるしかないのだ。
幸い、わたしの周りには私を支えてくれるひとがいる。だから頑張れると思う。心をすり減らしたっていい。少しくらいならすり減らしてやろう。
いつか絶対に、これを実らせるのだ。