2019/01/13
のどがいたい。
コンビニの揚げ出し豆腐を買った。
わたしはじぶんの生きている根底の部分を、どこか諦めているんだろうなと最近おもう。
死にものぐるいでがんばれないなと自覚した時に、どうしてだろうと考えた。
ひとはいつかしぬ。わたしもいつか死ぬ。
わたしは世界にめちゃくちゃたくさんある点の小さな小さなひとつでしかなくて、
それが消えたところでなんにもならないし、生きていたところでべつになんにもならない。
なんにもならないと わかっていながらいきている感覚というのかな。
それなのに、しにたいともおもわない。
この世界を大きくみたときに、自分の存在がなんの影響ももたらさないのだと自覚したところで、死にたいとも思わないし、死ぬ理由もないし、なんか生きているから生きてみている、みたいな。だいぶ端的だけど。
そのなかでおもしろいこともあるし、そうじゃないこともあって。でもそれも一過性のものでしかない。人生においても、この地球が回っている歴史においても。
こうして文字に起こしてみるとめちゃくちゃ冷めているような感じがするな。
こんな捉え方してるなら、
仕事なんてかなぐり捨ててやりたいことやって、自由奔放に生きればいいのにね。
文句いいながら新卒からずっと同じ会社にいるし、引っ越したいとかいいながらずっと同じ家にすんでいるし、結局自分はちっぽけな人生のちっぽけな不安に縛られている。
やわらかくいきていたいのにな。
それで、死んでいくときに人生こんなもんだったなーって思って70歳くらいでのびのびしにたい。
わけわかんないな。おやすみ。