2019/07/17 ボルタンスキー展 1
六本木、国立新美術館でのボルタンスキー展へ行った。大事な記憶として留めておきたいので、きちんと文章にしておく。
最近再会した人で、ものの捉え方がおもしろそうだなあとおもうひとがいたので、誘ってみたところ快諾してくれて、一緒に見に行けることになった。
待ち合わせで手こずったけど、これがわりと楽しくて、なんとか落ち合うことができたので会場へ。
チケットを買って展示に入るときに展示解説のパンフレットがあって、それを参考にしながら進んで行く。
ボルタンスキーのことは、この展示開催にあたって知ったに過ぎなくて、作風などもほとんど知らなかった。
作品は、想像していたよりも重みがあって、人の生きている時間と、その数の膨大さと、そのそれぞれのストーリーを感じさせられた。
特に衣類(古着)を使った展示と顔写真を使ったものは、その1つ1つの重みを意識しないわけにはいかなくて、またそれが死者のものであったりするから更に重たく感じて、時々くるしくなった。
あと、音はすごく自分の中に浸透しやすいのだというのも実感した。視覚だと、なぜかすごく考えてしまう。分析に走ってしまうし、どういうわけか頭で理解しようとしてしまう。
耳からだとすごく感覚的にそのものを受け入れることができるみたいで、考えるより先に印象がこころに浮かんでくる感じ。
なにかを見るときに、できれば考えずに感じていたい。考えてしまっては面白くないし、ものに触れたときの第一印象みたいなものってすごく大事だとおもっている。
思い出とかもそうだけど、記憶とか印象って塗替えの効くものだから、はじめに明確に浮かんできたなにかをものすごく大事に扱いたいとおもう。
あとこれは余談に過ぎないけど、冒頭に展示されていた、咳をする男。映画・ジョニーは戦争に行った、を連想した。こわい。
つづく