とりとめのないこと
母が昔、仕事上での悩みみたいなものを打ち明けてくれたことがあった。
具体的にどんな内容だったかは覚えてないのだけど、母の学校給食の業界では割とタブーな、発注ミスとか、そういう感じだったと思う。
当時の学生の私からしたら、それがどれだけ母にとって大きい打撃になったのかということはほぼ予想がつかなかった。
たぶん私は、私の主観を以て、母を擁護するようなことを言ったのだと思う。
母が悪いとは思わなかったけど、防げる手段もあったのも事実で、しかし全ての責任はあなたにはないんじゃないだろうかというようなことを言ったと思う。
その話の最後に、母は話してすっきりした と言った。
それまで母のそういった仕事の具体的な悩みなどを聞いたことがなかったから、母もそうやって気に病むことがあるんだなと思ったのを覚えている。
社会人になって、今はあの時の母の気持ちが分かる気がする。
もやもやと気になることとかっていっぱいあるんだけど、なかなかそれを人に相談できなかったりする。
自分で解決するしかないし、人をいい気分にさせるものでもないから、できるだけ自分の中で処理しようともがくのだ。
それで時間とともに解決できればいい。
だけど、どうにも四方ふさがりになったときに、拠り所がないのはつらい。
誰かに打ち明けて、心が軽くなるだけでもいい。誰かに必要とされることでもいい。
ひとりで閉鎖的になってしまうのは、自分の柔らかくて繊細な部分を削ってしまう気がする。
ゆたかに生きていくために、ものごとを肯定していく術が必要なのだとおもう。たとえば自分自身や、自分のやっていることを。
強くありたい。強く。
芯を持っていたい。
理由のない哀しみや、暗いものに囚われらるのは本当にいやだなとおもう。なにも生まれない。
いつも前を向いて歩めるように。ひとに目を向けていられるように。ゆたかさを失わずにいたい。