とりとめのないこと
母が昔、仕事上での悩みみたいなものを打ち明けてくれたことがあった。
具体的にどんな内容だったかは覚えてないのだけど、母の学校給食の業界では割とタブーな、発注ミスとか、そういう感じだったと思う。
当時の学生の私からしたら、それがどれだけ母にとって大きい打撃になったのかということはほぼ予想がつかなかった。
たぶん私は、私の主観を以て、母を擁護するようなことを言ったのだと思う。
母が悪いとは思わなかったけど、防げる手段もあったのも事実で、しかし全ての責任はあなたにはないんじゃないだろうかというようなことを言ったと思う。
その話の最後に、母は話してすっきりした と言った。
それまで母のそういった仕事の具体的な悩みなどを聞いたことがなかったから、母もそうやって気に病むことがあるんだなと思ったのを覚えている。
社会人になって、今はあの時の母の気持ちが分かる気がする。
もやもやと気になることとかっていっぱいあるんだけど、なかなかそれを人に相談できなかったりする。
自分で解決するしかないし、人をいい気分にさせるものでもないから、できるだけ自分の中で処理しようともがくのだ。
それで時間とともに解決できればいい。
だけど、どうにも四方ふさがりになったときに、拠り所がないのはつらい。
誰かに打ち明けて、心が軽くなるだけでもいい。誰かに必要とされることでもいい。
ひとりで閉鎖的になってしまうのは、自分の柔らかくて繊細な部分を削ってしまう気がする。
ゆたかに生きていくために、ものごとを肯定していく術が必要なのだとおもう。たとえば自分自身や、自分のやっていることを。
強くありたい。強く。
芯を持っていたい。
理由のない哀しみや、暗いものに囚われらるのは本当にいやだなとおもう。なにも生まれない。
いつも前を向いて歩めるように。ひとに目を向けていられるように。ゆたかさを失わずにいたい。
2018/11/29
人の行動性をも変えられる力があるとは思ってない。そもそもそうやって変えようとすることはめちゃくちゃエゴなのではないかと思う。
だから仕事においても、後輩に対して技術的なこととか、コミュニケーション的な部分で思うことがあっても、聞きに来ないのであればわたしも何も言わないでやってきたし、それでいいと思ってきた。
あまりに鈍感でない限り、それをした場合としなかった場合にどうなるのかなんてある程度予測だってできるはずだ。
それでも、ひとを育てていく中で不十分なところをスルーするというのは良くないことらしい。
聴きにくることを期待するな、自分が歩み寄って、伝えろ、そう言っていた。
なにかを教えるものとしてはまだまだだな。なんとか乗り越えたい。
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最近食べることにあまり興味が持てない。
食べすぎると気持ち悪いと思うようになったし、重たくなくて、コンビニとかの変に加工されたものでなかったらなんでもいい。
それでも食べないことで身体を壊したくないから質の良いものを出来るだけ食べようと思っている。
これといって食べたいものもないから、なんとなく自炊する日があったりしても、たまにしかやらなくなった。
それくらいでちょうどいいけど。
それに伴って少しだけ身体が軽くなった。
都合がいい。
きょうは新種なショッキングなことがあった。
なんなんだろうねえ、私がいけなかったんだろう。
つらい。この気持ちが報われるときは訪れるのかな、
自分でそうしていかないとダメだね、
がんばろう。
ねむいけど寝たくないな。
2018/11/27
友だちが日数を増やして頑張って働いていて、先月は目標額稼げたらしい。すごい!
けっこう精神を燃やしていたから心配だったのだけど、今月も変わらず頑張っている模様。
2ヶ月続いたら褒美をくれと言ったので、なにがいいかねと言ったら、
本気のハグと言っていた。おもしろい。
いいね、本気のハグね、
本気のハグってなんだろうというところから考えたい。
違ったら殴られるらしい。
覚悟しよう。でも絶対殴らせないぞ、
2018/11/26
自分の足で立っていたいな、
誰かに頼りたくなることもあるから、そういう時にどうするべきかを考えないといけないかも。途方も無い寂しさに襲われたときに、太刀打ちできないようでは困るな、
すきなひとに出会ったときに、胸を張って生きていたい。何かに引きずられながら生きるのはごめんだ。