2018/12/27
誰かの悲しみや憂鬱を想像してみても、その実像に触れることはできない。わたしがかんがえるものは想像にすぎない。
つらかっただろうな、哀しかっただろうなとおもうけれども、きっとその人が感じた憂鬱はそれ以上に大きく、重たくのしかかるものだろう。
偽りのような言葉に聞こえるかも知れないけど、肩代わりしたいとおもう。一回だけでも、その苦しみを教えてほしい。その哀しみについて知りたいし触れたい。
気の利いた言葉をかけられるわけではないだろうけど、多分頭を抱えたくなるような、大きな哀しみなのだろうけど、それを知らないことが、わたしは悲しい。共感できないことが、ありきたりな励まししかできないことが悲しい。
だから、知っていたいとおもう。
そういう哀しみを抱えたひとに、わたしができることはなんだろう、
気休めにしかならなくても、こころが軽くなるならそれでいい。
少しでもこころをすり減らすことが少なくなったら、そうおもうのだけど。できることは少ない。
ラブ&ポップ
ラブ&ポップという映画を観た。
フィルマークス
ラブ&ポップ - 映画情報・レビュー・評価・あらすじ | Filmarks映画
以下感想。
とにかくカメラワークがおもしろい。ハンディで撮ったとか聞いたような。
そんなとこから撮っちゃうんですかっていう、斬新な視点から切り取っていたりして、へええっておもう。
ストーリーは、指輪が欲しい女子高生が援助交際でお金を稼ごうとする話。
めちゃめちゃ割愛しているけど。
援助交際で出会ったひとの1人に、チックの男がいて(ツバを吐く仕草という何とも肯定しがたい行為を不制御な症状に持つ)、レンタルビデオ屋に恋人を装ってついてきて欲しいという。
そこの出会ってから別れるまでの一連がなんとも気持ち悪くて、でもおもしろい。なんかああいう人間ってものすごく知りたくなってしまうんだよな。
少し心を通わせる瞬間があって、そういう一瞬が切り取られていることが嬉しかったのかもしれない。
仲間由紀恵がものすごく若くしてでているんだけど、めちゃくちゃ美しい。
不思議とやな人間が出てこないのもいい映画だったなと思える理由かもしれない。
2018/12/22
とても感傷的な日記を書いていたな。
自分の負の感情も認めていきたい。
代わりに自分の保っていたいもの、失わずにいたいものもはっきりと、胸に携えておくべきだと思う。そうでないと、自分が崩れてしまう。
じぶんを認める、じぶんを保つということが今回は少ししんどい。いつでもしんどいものだけど。
ここ1年でいちばん部屋が荒れているし、洗濯は追いついていないし、食事も買ったもので済ませている。
朝も起きれなくなって、今朝なんて家を出なければいけない時間の25分前に起きて、シャワーを浴びた。
それでも身体を洗うという行為の端々を省略したくなくて、時間がないのにすべての工程を踏んだし、(これまでは省略してきたこともある)あがってからの手入れもいつも通り入念にやった。
それで自分のいま乱れているものの軌道を、少なからずただせる気がした。
きょう、新しい詩に出会った。
高橋忠治というひとのこと、全く知らなかったけど、この 赤いわらぞうり という祖母をうたった詩がものすごく響いた。
祖母とぼくのわらぞうりを編む様が目に浮かぶし、表現がおもしろい。
雪のもかもか降るなかを、
しなしなとした藁ぞうりの、
ほかほかと、
じんとして、こころの中で泣いた。
声に出して読んでみたい。
泣いてしまうかもしれない。
こころの解き放たれる瞬間が必要だなとおもう。
立ち向かうこと。
このあいだ、職場のトップと話をした。
自分が仕事において培わなければいけない部分について触れられた。
そのひとは、
いまのままではセンスが足りない。そのことに関してこれまでもやってこなかったわけで、それではお前の6年はなんだったのか、この6年間、無駄じゃない?そう言った。
わたしは認めたくなかった。彼はたぶん、わたしに火をつけるためにそれを言ったのだと思うけど、それでも認めたくなかった。
その分野に関して、わたしが行動してこなかった自覚はある。直面し難かったし、それよりも技術を、と思っていたので、自分の中では後回しになっている事柄だった。
自分がこの職場で得て来たものは計り知れない。
自分のためにあらゆるレッスンを受けたし、堪え難いダメ出しにも直面したし、何度だって泣いて、立ち向かって、その壁を超えてきた。
そのことは自分の中で、揺るがない事実としてあるのだ。だから今の自分があって、今の仕事ができている。
だからこそ、それを否定されたくなかった。
『6年間が無駄』という一言がわたしを刺して、刃がぐっさりと深く留まり、抜けなかった。
わたしの6年はなんだったんだろう?
今までの堪え難い苦難はなんだったんだろう?
今のわたしはなんなんだろう?
いま、わたしの仕事で喜んでくれているお客さんはなんなんだろう?
すべてが自分の中でガラガラと崩れていく。
誰かに話したいけど、できなかった。誰も分かるわけないと思った。
この、すべてをこなしてきた末の、やるせない、行き場のない虚しさを、誰もわかってはくれないとおもった。
きょう、帰りにふと、ディレクターの先輩が声をかけてくれた。唯一、この人になら打ち明けられると思っていたひとだ。
いつも忙しそうなので、なかなか持ちかけることができなかったのだけど、ひとこと話し出したら堰を切ったように言葉が出てきて、おいおい泣きながら、すべてを打ち明けてしまった。
詳しいことは割愛するけれど、先輩はすべてを受け止めて、否定せず、聴いてくれた。ただそれだけでよかった。
いまを越えなければいけないのは自分でもわかっている。ただ、この感情の行き場がなかったのだ。
先輩のような存在がいるのはとてもありがたいことだと思う。
様子を聞いてくれなかったら、わたしはきっと何も言えず抱え込んだままで、くよくよしているに違いない。
そもそも、かつてその人が通ってきた道だろうから、わたしはその人に話したいと思ったのだと思う。
とにかくわたしがやるべきことは立ち向かうことだ。
もう十分なんじゃないかと、何度思っただろう。それでも納得いかないのだから、仕方がない。
やるしかないのだ。
幸い、わたしの周りには私を支えてくれるひとがいる。だから頑張れると思う。心をすり減らしたっていい。少しくらいならすり減らしてやろう。
いつか絶対に、これを実らせるのだ。
個展をやる話
しばらく書いていない感覚だった。
三脚を買った。スマホ用のやつ。
ストップモーションアニメとか、夜の踏切を撮ってみたりして、けっこう面白いなと思った。
詩が好きなので、映像に朗読をのせてみたい。
自分で読むのはなんだか違うなあと思ったので、友達に頼んで音を送ってもらう。
なかなかよかった。
ドキュメンタリーとかも撮ってみたら面白いと思うんだよな。
べつの友達が、このタイミングで個展を企てているようだった。
そのひとのつくるものは、何かのきっかけでちゃんと目にしたいと思っていたので、そういう機会をつくってくれてとてもうれしい。
しかしそれが土曜日の午後だけなどと言うので、土日必ず仕事の私は参ってしまった。
ふつう2、3日やるもんじゃないのか、!
抗議したらはちゃめちゃなことを言っていて笑ってしまった。
しかしまたとないチャンスなので、これはきちんと休みを取っていこうとおもう。なんとしてでも行くよ、
いきいきしていてよかったなー。わからないけど。いきいきしているかはわからないのだけど。
そういう活動をしてくれるのはうれしい。見る機会を与えてくれること。
そのひとの研ぎ澄まされたセンスが好きだ。
準備、何か手伝うことがあったらいいな。
できる限り力を貸したい。それがわたしの楽しみでもある。
2018/12/18
楽しいことをしていたいな。
自分でそういうものを作り出していきたい。
でもそのための活力ってなんだかないなあとおもう。
それがせつない。
それでも、今自分に与えられている立ち位置を存分にじぶんのものにできているのかと言われたら、そうではないともおもう。
気分が暗くなっている。あぶない。とらわれてしまわないように。
大きく息をしよう、
友達が遊びに来た。
日本酒を一緒にしっかり飲んで、朝になって、友達が寝ている間にわたしは豚汁を作った。
さいきんなかなか長いことねれない。絶対に決まった時間に目が覚めてしまう。二度寝もできない。
映画の続きを見終わって、友達はまだ寝ていたのでわたしもまた少し寝たりした。
友達も疲れていたんだろうな、がんばれー。
これはわたしの悪い癖なのだけど、相手に合わせすぎて相手が暗い気分になった時に、自分もそれに引きずられてしまう。
ものすごく重たい気分になることがある。
きょうもなんだかそういう気持ちになってしまったから、友達と別れた後にひとりで喫茶店に行った。
ティーカップとセソーサーが素敵でうれしい。
少し元気が出た。
気持ちを取り戻したい。